2018/09/25

「クンサー」と聞いて、今の若い旅人達は何かピンと来るものがあるのだろうか?


自分が初めてドーイ・メーサローンを訪れた1988年、当時3軒しかなかったゲストハウスの1軒に泊まることにしたら、入口脇のカウンターの後ろの壁に貼られた村周辺の手描きの地図の半分ほどに真っ赤な斜線が引かれ、その上にドクロマークとともに「クンサー」とローマ字書きがしてあって、「宿の前の道を登って行ったら軍のバリケードがあるから、そこから先には絶対に行ってはいけないよ」と宿の主人から強く念を押され「ひぇーっ、あのクンサーですか!?」とカミさんと顔を見合わせたことは、今でもハッキリと覚えている。


そして、より詳しく彼のことを知ろうと思い、日本に戻った後で当時唯一であっただろうクンサーについて詳細に書かれた書籍を買って読んだのだった。




それが、この本だ




当時は、ドーイ・メーサローンの村の今はちょうど7-11があるあたりからメーチャーン方向に降りていったあたりが中心部で、現在の村の中心となっている銀行やレストラン、土産物店が集中しているロータリーのようになったあたりにちょうどタイ国軍のバリケードが築かれていたのだと思う。


もっとも、その場所は細いガタガタ道が1本あっただけで、今はもうまったくその面影すらないのだが。


さて、余談はさておき、3年連続となったタイ最北部旅行で今回もドーイ・メーサローンに行ってランチがてらお茶を買いに行くことにしていたのだが、ドーイ・メーサローン自体には大した見どころもなく、泊っているホテルからだと1時間半もあれば着いてしまうので、面白くない。


そこで今回は、その前に寄り道をすることにした。


それは、「トゥートタイ」という村にある、クンサーの元の軍事基地だ。







国道1130号線の山道をメーサローンへと登っていくと、「メーサローン・ナイ」という警察のチェックポイントのある3叉路に着く。


ドーイ・メーサローンに行くにはこれを左方向に進んでいくのだが、トゥートタイ村へはこれを右折する。


道は途中数か所激しいアップダウンはあるものの、近年修復をしたばかりなのか路面状態はかなりよく、思ったよりも簡単に着いてしまった。




村に向かう途中の風景

タイ最北部、トゥートタイ村への道からの風景




村の入口には、こんなゲートが建てられていた

タイ最北部、トゥートタイ村の入口ゲート




両脇の男女は何人だろうか?


クンサーは国民党軍の兵士だった中国人男性とタイヤイ(シャン族)の女性との間に生まれたということで、その関係もあるのか村の住人は中国系とタイヤイ(シャン族)が多いが、そのほかにもタイルー族、ラフ族、モン族、リス族などが住んでいるそうだ。


また、アカ族がタイ国内で一番最初に定住したのがこのトゥートタイ村だそうで、今のアカ族の居住エリアの広さを考えると、ちょっと感慨深いものもある。


なお、ゲートには「トゥートタイ村」とか書かれているが、これはタイ政府がこの土地を自分たちの支配下に置いた後につけた名前で、もともとは「ヒンテーク村」と呼ばれていた。


ヒンテークは「壊れた石(岩)」という意味だ。


メーサローンも同様に、タイ政府がつけた名前「サンティキリ」というのがあり公式の地図などにはそちらが使われているが、人々は今もメーサローンと呼んでいるので、このトゥートタイもしかしたら人々の間では「ヒンテーク」と呼ばれているのかもしれない。




村の中心を通り過ぎると、看板があった

タイ最北部、クンサーの軍事基地博物館への看板




どうやら、今は博物館になっているようだ。


「この先150m」となっていたのでたかをくくっていたら、道は未舗装のガタガタ道でちょっとビックリしてしまった。


道はすぐに行き止まりとなり、車が3-4台停められるスペースがあった。




その脇に建てらてたクンサーの像がお出迎えだ

タイ最北部、クンサーの軍事基地博物館のクンサー像







駐車場を背にすると、元の軍事基地が一望できた

タイ最北部、クンサーの軍事基地博物館の概観




最初にこれを目にした感想は「え、これが軍事基地なの?」だ。


基本的には軍といってもゲリラ部隊のようなものなので、そんなに立派なものがあるとは思ってはいなかったのだが、それにしても規模が小さい。


小さな平屋の建物が3つほど建っているだけだ。


入場料などはかからない反面、維持にはあまり手間をかけていない(かけられない)ようで、一応掃除とかはしているようだが、建物内部などはかなり傷んでいる個所もあった。




メインの建物の飾り

タイ最北部、クンサーの軍事基地博物館の入口




タイ語を見るとただ単に「クンサーの家」になってるね(笑)


描かれているのは、クンサーが1993年にシャン族の独立を宣言して自ら大統領に就任した「シャン邦共和国」のフラッグだろうか。




タイ最北部、クンサーの軍事基地博物館の建物


タイ最北部、クンサーの軍事基地博物館の建物


タイ最北部、クンサーの軍事基地の旧宿舎




建物の扉のひとつに、プレートがかけられていた

タイ最北部、クンサー軍基地のクンサーの宿舎




クンサーは、この軍事基地に滞在中はここに寝泊まりしていたのだろう。




扉が半開きになっていたので、中に入ってみた

タイ最北部、クンサー軍基地のクンサーの寝室




こんな質素な部屋に寝泊まりしながら、シャン族の独立を夢見て活動していたのだろうか。




壁には、クンサーの顔写真が飾られていた

タイ最北部、クンサー軍基地のクンサーの写真




もともとは国共内戦に敗れて中国から逃れてきた国民党第93軍の兵士を父に持ち、1953年に多くの国民党兵士が台湾に撤収した後も自らはこの地に残り、アヘンのビジネスに手を染めながらこの一帯で勢力を拡大してついには国を作ろうとするところまでこぎつけたクンサー。


しかし、その後はアメリカ政府から200万ドルの懸賞金がかけられ国際手配されるなど、悪の側面ばかりが強調され(その前はCIAの支援で軍を結成したりしていたのだ)、結局はビルマ(ミャンマー)政府に投降して2007年に亡くなるという数奇な運命をたどったわけだが、今の共産党中国の国民が大挙して旅行に訪れているタイ最北部を見たらどう思うのだろうか......




壁には国民党軍兵士の子孫が書いたのか、繁字体の落書きが残されていた

タイ最北部、クンサー軍基地のクンサーの宿舎の落書き




自分のような年代で、昔からこのあたりを旅行していた人なら誰もがちょっと特別な感慨を抱くであろう「クンサー」という名前。


そのクンサーの軍事基地が、寂れてはいるもののこのように博物館として公開され、割と簡単にアクセスできるようなっているのは、やはりそれだけの時が流れたということなのだろう。


メーサローンの村とはぜんぜん違う感情がこみあげてきた、このトゥートタイ村訪問であった。






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